昔話

遠野物語」を読んで、自分の田舎の昔話を思い出した。地元にはまんが日本むかし話のような話がたくさん残っているので、その中のいくつかを、自分の記憶のみで書いてみる。
ちょっと怖いので注意。


『「大淵小僧」
昔々、両親のいない男の子(小僧)が、祖母に育てられていた。小僧は畑の作物を抜いたりと、手のつけられないいたずら者だった。そこで村人は遠く離れた場所に小僧を捨てた。しかし何度捨てても帰ってきてしまう。村人は小僧を殺すことにした。前夜、祖母は小僧に粟を握らせて、「この数だけ人を呪え、お前を殺した順に呪え」と説く。翌日小僧は竹槍で殺され、祖母もまもなく死んだ。その後村では疫病が流行り、小僧を刺した順に村人が死んでいった。村人がほこらを作って小僧をまつったところ、疫病はなくなった。』
ほこらが実在して、今でも毎年慰霊祭が行われているというので実話くさい。
この話は中学の林間学校で、肝試しの直前に先生から聞いた。肝試しコースには大淵小僧のほこらや、当日の朝、排ガス自殺者が出た駐車場があり、シャレにならない肝試しだった。本当に肝を試された。


『「猿番道(さるばんどう)」
昔々、山の中の道に一匹の大きな猿がいた。その猿は道行く人を襲ったり、いたずらを重ねるので、猟師が猿を捕まえた。殺そうすると猿が命乞いをするので離してやった。以来、猿は道の番をするようになり、その道は「猿番道」と呼ばれるようになった。』
この道は、中学校のすぐ北にあって、部活のマラソンコースだった。普通に「おまえら猿番道走ってこい!」とか言われて走っていた。当時(今から15年前)は、林の中にある舗装された道だったけれど、今では住宅地になって、木は1本も生えていない。今、「猿番道」の両側に住んでいる人で、このことを知っている人はいるんだろうか。


『「さかさ杉」
昔々、子宝に恵まれない夫婦が氏神様におまいりした。その後、立派な男の子に恵まれ、成長すると角力(すもう)とりになったので、夫婦の生活は豊かになった。しかし息子は病気で死に、夫婦も貧しくなり死んだ。夫婦をうらやんでいた村人は夫婦を助けも弔いもしなかったが、疫病が流行ったため、杉の木を切って塔婆(とうば)にした。その杉の木は逆さに地面に突き立てられていて、根っこ側が天を向いていたが、そのまま根付いて伸びていった。今でも、杉の枝がまるで根っこのように空に向かって伸びている。』
このさかさ杉は見たことがある。1本だけ枝が上を向いているのが不思議。しかし言われ自体は諸説ある。


以上、よく覚えている3つの話を書いてみた。
ネットで検索したら、民話を集めた本に3話とも収録されていて、富士市役所総務部のホームページで読めるようになっていた。やるな市役所。